「本来人生自分が背負うべき荷物を他人が背負うのは単なる筋違い。道理を学び深める機会を奪うと知る事」
他人に対して「善かれ…」と思い手を貸す事が本当に相手の為になるのか?を熟慮するべきだと思う。
思慮の浅い生き方をし、経済的に困窮し自分の子供が望む生き方の選択肢を狭め現状を嘆く姿なんぞ、現在の世の中のシステムを眺めたら子供が生まれた時点で15〜18年後に起こる事すら想像しなかった自分自身の浅い思慮帰結でしか無い。
自分が若かった頃、消費者金融(昔はサラ金)のCMが多かったと記憶しているが、現在は弁護士事務所や司法書士事務所の過払い金返還請求CMが
やたら流れる。見栄や欲を満たす為、借金までし分を越えた生活をしてきた輩を救済したところで同じ事を先々繰り返すくらいの話だと思い眺める。
何時も書くが「全て自分が思考し実行した事の帰結が現在の状態」なのだ。思考そのものを変えない限り同じ状態を繰り返すのが人間なのだ。
誰もが困った状態にならぬ様に社会のシステムを構築する…そんな建前より、もっと大切なのは個々の思考を正すのが先だと思っている。
道理から外れ無い思考行動を心がけていれば基本困る状態にはならないと断言出来る。
困った状態とは、自分の思考、行動が間違えていた事を根本とした結果、背負いきれない荷物を自分自身で背負っているに過ぎない状態なのだ。自分自身で何故それほどまでの荷物を背負っているのかを考え本人自身が気づかなければ、一時的に他人が代わりに背負ったところで元の木阿弥となる。
人生なんてモノは自分自身で体験体感し心底気づかなければ次へとは進めない様になっている。
困っている相手に他人が手を貸し背負っている荷物を持つ行動が親切との思い込みが有るが、その状態に至った経過を冷静眺めて判断する事をお勧めする。けっこうな割合で実は親切でも何でも無く他人の成長する機会を奪っているだけの事が発生しているモノなのだ。