「本質道理を観る力とは「変」と感じられる感性を磨くしか無い」
若い世代に対し将来の収入(金)の安定のみで大きな組織を目指す事を勧める事とは最初から「大百姓の小作人を目指せ」と言う事と同じ事だと思っている。
大企業と呼ばれる組織に入り「これで将来安泰だね❗️」なんて喜ぶ姿は小作人に成れて安心だと喜ぶ小作人の価値観と思う。
本来ならば無限の可能性の有る若人に対し長い人生を見据えて「最初は力つける為に小作人からスタートで構わないが、先々力をつけて独立するくらいになれよ❗️」では無いだろうか?
別に職業に貴賎は無いとは思っているが、封建制度の江戸時代でも有るまいし無限の可能性を秘めた相手に対し最初から小作人を目指し、小作人に成れて安心とは失礼極まりないと思う。
偏差値の高い学校に入る為に学習塾に通わせ、クソ高い学費を払い更に税金という国費も投入し最高学府の大学の学歴を付け最終目標が小作人なのだから、申し訳無いがちょっと世の中変でないか?と個人的には思っている。
自分が若い頃に比べタケノコの如く、かつては最高学府と呼ばれた大学が乱立し学士号を持つ人間が世の中に溢れたが、海外から帰り日本の空港で感じる現在の閉塞感は何なのだろうと思う。
普段小作人をやっていても良いが、いざとなれば個々、独りで立てる様な人間が増えなければ全体が沈む。寄らば大樹の陰では無く、大樹に巣食う寄生虫の様になれば大樹も枯れ果てる。
コロナが始まり「お上は間違わない…」「いざとなればお上が何とかしてくれる…」「お上が配る金は無尽蔵(印刷すればいくらでも創れるからある意味正解)…」そんな姿を眺める度、何と思慮の浅い人間が増えたのだろう…と思う。
若い世代に対し「しっかりしろ❗️」では無く、「先ずはお前がしっかりしろ❗️」なのだ。
変な事を、当たり前…フツー…と信じ込めば変な事すら変だと気づく事すら出来なくなる。そんな話だ。