「気づき…自覚…他者から与えられるモノでは無く自分自身の心に内包されている」
日々、人間は心に内包されているモノを内側に掘り下げる作業をしている。思慮を深める作業だ。外部から与えられるモノでは無く人間の心に元来備わっているモノなのだ。
本来感覚的なモノだが、誰しもの心に内包されているモノなので共通認識として気づきで有るとか自ら覚る、自覚…等々心を表す言語で表現される。
但、共通認識言語は知ってたところで心のどういう状態を指し意味するのかを知る事は難しい…覚るという言語は知っていてもどんな状態かは自分自身の心に内包する場所まで掘り下げなければ解らないモノなのだ。
先日、自分自身で死を意識した人間と接する機会を得た。自分の実母で有る。病気で何度か危篤状態に陥り自分の死期を明確に意識したのだ。
それまでならば会えば口から出る言葉は不平不満…他に対する憎悪ばかりだった母親の口から周囲に対する感謝しか出なくなっていた。
無論、母親は「心から感謝する」という言語は知っていたが心の内包する場所まで掘り下げ理解出来ていなかった事が一気に掘り下げられたのだと理解した。
その姿を観て和笑(おしょう)を名乗る僧侶の自分は、
「現世生かされている間にその場所まで心の掘り下げが出来て良かったね…但、もう少し早くその気持ちを理解出来ていたら現世をもっと楽しめたのに…」
と思った。
心に内包する様々な位置まで掘り下げる間苦しさとも出会うが…掘り下げれば掘り下げるほど現世生かされている間、有意義で楽しい時間が増えると記しておく。