宗教法人

来慶山忠暘院

「清濁…静動…善悪…賢愚…全て相対させる為に必要として先ずは認める」令和4年1月3日記

「清濁…静動…善悪…賢愚…全て相対させる為に必要として先ずは認める」令和4年1月3日記

「清濁…静動…善悪…賢愚…全て相対させる為に必要として先ずは認める」

常に相対する為に対象物は必要となる。ずっぽりと自分の意識をどちらか片方に入れ込んでしまうのでは無く距離を置き俯瞰しながら眺め続け思案するクセをつける事が大切なのだ。

バランス良く両方を相対する為に必要なモノゴトだと俯瞰した意識で眺めた後、リアル世界で自分自身の人生を心豊かに生きる為にどちらが必要かを選び活かすくらいの話だと思う。

時々、どちらかに偏り過ぎた状態で脳内を固定し自分の正義?を振り翳すだけならばともかく、他にその思い込みを周囲にまで強制する輩がいるが大きなお世話と思って眺める事が有る。

その手の輩は脳内が偏り過ぎているせいか、心にゆとりが無いので表情は険しく、更に表現する語彙力が低いのか相手だけで無く耳にした周囲までを不快にさせる様な一方的な言葉を口から吐くのが特徴なのだ。

基本、その手の輩とは関わらない事だ。モノゴトの観方、考え方に偏った状態は心身共にバランスを崩し破綻する。本人だけならばまだしも近くの人間をも巻き込む事例を多々観てきた。本人の為…そんな気持ちを持ち近づけば自分自身の人生に災いを招き入れる。人間、自分は気付けば変えられるが、他人は本人が気づかない限り変えられない。

常に相対的にバランス良く普段から1つのモノゴトを観るクセをつけていないと思考が固まっていく。職人ならば創り上げる作品に対しての頑固さが必要な事も有るが、一般的に頑固さなんてモノは人間生活においてさほど役には立たない。

心豊かな生き方とは相対的なバランスの取れた観方、考え方に基づく生き方だと思っている。

但、そんな考え方も人それぞれ…

感覚の近い友人知人に周囲を囲まれ、現代社会を生きる上で食うに困らない程度の食糧に変えられる…酒は飲まないがタバコは吸うのでタバコを燻らせるくらいの金が有れば良い事くらいで幸せなのだ。

そんな事を1つの出来事から考えた。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。