宗教法人

来慶山忠暘院

「独りの人間としてどう在るべきか?最終的に行き着く判断はそんなモノ」令和3年9月6日記

「独りの人間としてどう在るべきか?最終的に行き着く判断はそんなモノ」令和3年9月6日記

  1. 「独りの人間としてどう在るべきか?最終的に行き着く判断はそんなモノ」
子供の頃憧れたヒーローたちは時々おふざけも有ったが普遍的な「人間としてどう在るべきか?」を説いてくれた。
社会へ出てからいつの間にかそんな事を忘れがちになり世の中のフツーとやらに迎合する事が当たり前という感覚になる。
そんな世の中のフツー、当たり前に迎合する生き方が道理に適っているならば人生における悩みや憂いは存在しないハズだが、迎合すればするほど悩み憂いが増大するだけだと気づいた。
という事はそんな事に迎合する事自体が道理から外れた間違えた生き方という事なのだ。
和笑(おしょう)という坊主の端くれで在るから道理からズレ無い生き方を心がければ良いだけの話だと今更ながら気づき仏典を引っ張り出し、悩みや憂いを増大させるくだらない世の中のフツーには迎合せず、
「正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定」
の8つを意識しながら生きれば良いだけの事だと気づき、ストイックにならない程度に自分なりに意識して実践する事にした。無理したところで続かなくては意味が無い。八正道のストイックな世界は修行寺の師家と呼ばれる方々がやれば良い事…あくまで自分は自分なのだ。
人生なんぞ人間としての在り方を自分なりに模索し生きれば良い事で他人に押し付けられる事でも押し付ける事でも無い。
あくまで自分の人生で在る。現世での自分の身体をも単なる借り物の自家用車くらいの感覚で自分の目指す目的地(人間という存在)まで悠々とハンドルを切りながら人生というドライブを楽しむ…そんな意識で日々過ごそうと思う。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。