「現世、現在(いま)を必死になって生きず、明るい未来なんぞ描ける訳は無い事を知る事」
現在与えられた役割りを日々必死になってやっていると必ず意味や矛盾に気づく事になる。意識がやらされているレベルでは何も気づく事も無い。仕事帰りに一杯飲み屋で呑んで日々午前中は二日酔いくらいの繰り返しで人生を終える。
事を成した諸先輩方々の書籍を読むが、必死になり寝食も忘れモノゴトに取り組んだ時期が必ず有る。
人間として生きる事の意味道理を自分なりに解釈して道理に沿い必死になってやっていると必ず賛同者が現れる。
考えてみれば事を成すとは「人間として立派な事を成した」という事なのだ。「人間として…」を前提にすれば賛同者が現れるのは必然な事くらい理解出来る。賛同者が全く現れ無い事自体道理から外れているからなのだ。
必死になってやらされるのでは無く「やってみる事」。やり続けていけば自ずと人間として自分がやるべき事が見えてくる。
自分自身、人間としてやるべき事すら見つけられない人間に明るい未来なんぞ存在しない❗️人生は他人から与えられるモノでは無く自分自身で創るモノだ。
《オマケ》
時々、宗教なんぞを上手く取り入れた輩が出てモノゴトを構築するが、一時的に賛同者を集め隆盛を極めても骨身に染みるくらい道理を理解出来ていないから瓦解する姿を自分が生まれてからでも幾つも観せて頂いた。
自分も人間で在る以上同じ鉄を踏む可能性は0では無い事を自覚し、自分が「人間としてやるべき事」を日々必死になって還暦まで後6年くらいはやっていこうと思う。