「現在(いま)やっている事が苦役だと思っている限りずっと立ち位置は変わらない」
どんな立場であって何をやっても苦役と思いながらやっていたら何も身に付く事は無いモノなのだ。数年経とうとずっと言っている事、やっている事が変わらない…
そんな全身から苦役感満載の輩を観ると「聞かされるのは日々の苦労話か他への悪口くらいだから近づく事をやめておこう…」と思う。
与えられた立場や役割りを苦役では無く何かを学ぶ機会と捉えている自分が個人的に人間と呼ぶに値すると思っている方はからは、話をしてもだが様子を観せて頂くだけでも必ず学びが有る。
社畜などという言葉が有るが、その場所に居て言われたモノゴトをとりあえずやっていれば月々給与は支払われると思っている輩から出る言葉だと思っている。日々言われるだけの事を繰り返して人間的に何も成長する事無く苦役と信じ込んでいる仕事では無く作業をしているだけの存在なのだ。
家庭内に於いても旦那(だんな)と呼ばれる語源はダーナ…布施…施すという事から紐解けば、経済的にもだが知識、智慧を家族に対して施せる与えられる人間を指すが、意味すら考えず給与運搬人くらいの苦役意識しか無い輩に成り下がっているからいつまでも立場、ポジションが変わらないのだ。
何処でどんな立場、役割りを与えられても人間的に成長する為の学ぶ事が存在する。その意味が解らない輩は苦役だと信じている輩同士で次元の低い場所で慰め合うだけの日々、時間を浪費する。
苦役と思っている限りどんな立場役割りを与えられ様が成長は止まる。ちょっと眺めれば判る苦役感じ上手な輩に責任有るポジションを与え様と思う貴徳な人間はいない。上が腐れば末端まで派生し腐るのは道理なのだ。
どんな大きな組織で在っても狭めて考えて家庭で在っても所詮人間の寄り集まりでしか無い。やる事なす事全て苦役としか考える事しか出来ない輩が存在すれば派生し自分だけで無く周囲にまで害を及ぼす。
「受け取る給与は我慢代…」なんてアホな事を真顔で言う輩がいるが…自分から言わせれば仕事を通じ人間性を高めて社会に貢献しようとしている人間からすれば何も解っていない作業ロボットレベルだと思っている。
故に自分は価値観の違う作業ロボットとはお付き合いしない。