「現在在るモノの半分で日々暮らすクセをつける。全部使うとは来年蒔く種まで食い尽くす事と同じと知る事」
過払金請求cmをラジオで聴く度、アホだった20歳前時代を思い出す。バイトで貯めた金を握りしめ中古バイクを買いに店に行き、他人のYAMAHA、TZRの納車風景を見て何故か同じバイクを新車ローンで買った。その頃金利が10%だった。その後はローン返済に追われる事となった。大学時代、学生カードの奔りだったので早速作成気取ってカード払いをした。卒業が決まり、春から修行寺へ上がる前のカードの請求が20万少々…一括返済の請求書におののき、必死にバイトした。
それ以来、金を借りる事は先々の自分自由度を狭め力を確実に削ぐと思い、よほどの事が無い限りローンには手を出さないと決めたのだ。
その後、札幌で寺勤めリーマン坊主して嫁と結婚してからもやってきた事は毎月の収入より常に「少ない支出で生活をする」というすごく当たり前の事だ。
横浜に出てきて、個人事業主から見なし法人になり現在は公益法人となったが、税理士からの指導で、みなし法人から給与を取るスタイルになった時、固定給にしてずっと今まで金額を動かす事はしていない。(下げた事は有る。)あくまで有る範囲内で豊かに暮らす事を心がけ実践すると決めたのだ。通夜の帰り着替えて閉店間際のスーパーに立ち寄り見切り品を購入する(食品ロスを無くす意味も有ったが…友人からつけられたあだ名が「サンワ院半額居士」)そんな生活していたら、現在は今年の蓄えで来年暮らす感覚になった。
身の丈に合わせるというより、身の丈より下げる生活を意識し、余らせた種もみを蓄える。本来農耕民族というDNAを忘れて西洋被れし、ローン…借金という名の種もみまでを先食いし、誰かの為に必死に金利を付けて働き続けるする姿は先祖からの智慧を蔑ろにした単なるアホだろうと思っている。(考えてみたら生活相談を受けた輩はキリギリスどころか後先考えないギリギリス生活していたし、周囲で一時期隆盛を極めていた輩も収入の増加と伴に生活が派手になり借金をつくり流れ星の様に消えていった。)
世の中のフツーとされる誰かが創り上げたシステムに踊らされひたすらローン返済の為に不平不満を抱えながら働き続ける事自体が変だろう。「自分は間違えていない❗️」と言うならば何故不平不満が出るんだ⁉️本当の人生は常に楽しいモノなのだ。
日々、楽しく無い事自体、自分自身の思考からくる行動の間違えを疑う事をお勧めする。
あくまで自分が人生を通じてやってきた事のみを記載しておく。価値観は人それぞれだ。
《オマケ》
無論坊主の本来の姿は托鉢にてその日の生命を維持する事も知っているし、いざとなればその覚悟は有る。但、現在は現代を生きる坊主もやる1人の人間をやっているだけの事だ。