宗教法人

来慶山忠暘院

「目を上げてリアル世界をきちんと観ればやるべき事は無限に存在する」令和4年1月11日記

「目を上げてリアル世界をきちんと観ればやるべき事は無限に存在する」令和4年1月11日記

「目を上げてリアル世界をきちんと観ればやるべき事は無限に存在する」

タバコ吸いの自分の場所は台所の換気扇の下なのだ。このブログもそんな定位置に椅子を置きポチポチと記す事となる。
ふといつもの定位置から周囲を見渡しただけで流しに溜まった食器が目に入るので立ち上がった序でに洗う事にしている。
日常生活の中で身を置き立ち去った時に自分がその空間に身を入れる前より綺麗にしてから立ち去る事を出来る範囲で心がけている。それくらいの事でもやる事、やれる事は無限に存在するモノだ。
「自分には存在価値が無い…」とか「暇でやる事が無い…」なんて聴く事が有るが、自分にやれる事が無限に存在する事に気づけない愚鈍だと周囲に言っている事に気づかないのかと思う。
2つの眼(まなこ)を見開き周囲を見渡すだけで「何でここにコレが在るんだろう…」と思うモノが存在する。道を歩くだけでその場所に在っては変なゴミなんぞは典型的なモノなのだ。
自分には関係ないと日々スルーし続けていれば徐々に気づく力は劣化し続け更に鈍化する。逆に意識を持ち続ければ気づく力が磨かれ想像力が高まるだけで無く気づく力がが高まるモノなのだ。
気づく力が弱いが故に後になって「あの時◯◯しておけば良かった…」と後になり後悔して自己嫌悪になるのだ。映画やテレビで大問題が発生した時智慧を出し切り抜けるヒーローを観て喝采するが、本来は大問題が発生する前に小さな問題が発生した時点で気づき修正し続け大問題にまで発展させない事の方が大切なのだ。
大問題が発生したとしても解決出来るのは日々小さな問題を修正してきた人間にしか対応出来ない。現在の世の中で起こった問題に狼狽える愚鈍な輩が目につくのは日々おざなりに過ごしてきた姿なのだ。最近のコロナなんぞ日々どう生きているかが露呈した典型だと思って世の中を眺めさせて頂いる。
一事が万事に通づる…それくらいの話だ。
《オマケ》
愚鈍な輩に近づけば、引き摺り下ろされる恐れが多々有る知る人間は関わらない方が無難な相手にわざわざ自分から近づく事をしない。故に愚鈍な輩は孤立する事が多い。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。