「相手を想い遣る力が欠如していれば何事も立ち行かなくなる事が道理。全ては想像力の欠如に起因する。」
自己都合だけが闊歩する世の中なのだ。単純な話、自己中という事だ。自己中人間は他に対し無関心になる。無関心だと人と対峙しても相手の記憶が何も残らない。人間の記憶とは面白いモノで何かしら関連付けてタグ付けしないと単体ではほぼ残る事は無い。個の人間に対し沢山の情報をタグ付ける事で記憶される。タグ付けするには相手に関心を持ち取り巻く背景を知らなければ話にならない。自己中無関心な人間は少し話したら判るが、中身がスカスカなのは関連付けて記憶する力が弱いから何も無い空っぽなのだ。
話が少々逸れた…
脳みそ内の記憶の組み合わせが想像力を生み出す。その想像力が無い事には相手に対する想い遣りに端を発した行動には繋がらないモノなのだ。
日本国内デフレ状態が長く続いた。とにかく1円でも安く買う事が是だと殆どの国民が買い手側で参加し、売り手も必死に期待に応え続けた。結局何が起こったかといえば国内地方を中心とする疲弊だ。相手の生活を想い遣る事無くやってきた想像力の欠如から招いた結果なのだ。
現在(いま)自分には仲良くしている個人店主が営むパン屋さんが存在する。人生の中で初めてパンを美味しいと思った店だ。店主や奥さんといろいろ話をするので出身地や家族構成まで記憶している。パンの味もだが朝2時半に起き日々パンを焼き、顔に白い粉をつけながら応対してくれる店主の人柄が好きなのだ。1日作った分を売り切ったら店を閉めるのだが、たまに午後店の前を通りかかると随分と残っている事が有る。その時は車を停めて「今日は天気と客足読み損ねただろう❗️」なんて悪態をつきながら買う事にしている。頑張っている方には地域に残ってもらいたいし、美味しいパンを食べ続けたい…そんな思いからだ。
江戸時代、鎖国しながらも内需だけである意味平和な状態が260年も続いた。「もう現代はグローバル化の時代だからそんな古い時代の価値観は変わって通用しない❗️」そんな声が聞こえてきそうだが、飯食って寝る人間の営みなんぞ基本さほど変わっていない。
変わったのはグローバル化が流行りだと信じ、弱者を呑み込む巨大な力や合理化が素晴らしいとか、個人を尊重し過ぎ自己中になった、他を想い遣れなくなった人間の心だ。