宗教法人

来慶山忠暘院

「知らない事、出来ない事を恥と信じて何の努力もしない輩は隠す事だけ上手くなる」令和3年9月29日記

「知らない事、出来ない事を恥と信じて何の努力もしない輩は隠す事だけ上手くなる」令和3年9月29日記

「知らない事、出来ない事を恥と信じて何の努力もしない輩は隠す事だけ上手くなる」

普段「知っているつもり…」「出来ているつもり…」になっている輩の行動パターンを眺めると普段偉そうな事を言ってはいるが、追い込まれると諸々理由をつけて恥をかかない様に隠す。

本人は周囲が納得するで有ろうと錯覚している理由を「さも有り」で曰うが、「普段から何処でもこうやって逃げまくりの人生を送っているんだ…」と本人に直接は言わないが周囲は呆れているモノなのだ。

人生なんぞ時間軸でいえば未知なる未来への旅で有るから幾つになろうと「知らない事」「出来ない事」は別に恥ずかしい事でも何でも無く、その事に自分自身で気づきながら覆い隠そうとする意識が自分自身の人間としての成長を妨げている事を自覚するべきなのだ。

そんな小さな了見…潔さすら無い小さな屁にもならないプライド人間が子育てをし、自分の子供を壊し心療内科や精神科に送り込む姿を眺める事がよく有るが、「子供本人が勝手に壊れたのでは無くお前たち親が壊しているじゃん❗️💢」と怒りすら感じる事が有る。

自分たちのくだらない価値観が子供を追い込みながら「真っ当な成長をしない事は恥ずかしい事…」とその子供の存在すら隠すのだから現在言われている「親ガチャ」という言葉も変でも何でも無い事だと思う。子供は親を選べない。

自分は格差社会と言われる現代社会の歪みの根本が「解の有る問題に対し時間と正確さだけを競いアタマの良し悪し、人間のレベルを決めるくだらない価値観」に起因していると思っている。

本当に大切な価値観は別モノなのだ。「親ガチャ」で子供に外れたと思われない価値観を自分自身で構築し続けなければならないが…思慮の浅い残念な親ほどとりあえず学歴…そして知らない事出来ない事は上手く隠す事を自分自身で実践し続けながらそのくだらない価値観を子供にも入れ込みドツボにハマり続ける。

文章で書くには文字数も限られる。書いている意味が解らないならば直接訊きにくれば自分の知る事やっている事をお教えはするし、その為に忠暘院では寺子屋を創設している。

小さな了見プライドだけでやっていける自信が有るならば「自分自身が自滅するだけで無く、子供が自滅するまでまでやっていなさい…」で有る…

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。