「種を蒔けば根が先に出る。先に大きな枝葉が出来て後から根を張る事を想像する事自体道理から外れる」
自然の営みにこそ悠久の変わらない道理が説かれていると常々思う。
大木の広がる幹や枝葉は観る事が出来るが眼に写らない地中の広がる根を想像出来ない現代人…まして時間を遡り種子から最初に根が生える事を想像する事が出来ないというより観た事も無いのだから致し方ない。数代前を考えれば日本人の殆どの先祖が土を耕す百姓で種子から先に根を出す光景を観る機会が多かったハズだが僅か数代で現在の状態となった。
余談だが、何故か、「サムライ◯◯」という言葉が独り歩きしてから自分の先祖は武士だと勘違いした日本人が増えた。先祖が武士ならば薄くとも武士道を継承しているからもう少し気品高いだろうと思うが、自己中の下品な輩が多いのは何故だろうと思う。相変わらず年貢を毟り取られている意識レベルの低さだけが継承され続けているのだろうか…?話が逸れた…
道理なんぞ普段の生活の中に説かれているが、心が自分に向いている自己中人間の心には何も写らないモノだと思う。他に心(関心)を向けねば説かれている意味すら読み解く事も叶わないのだ。
先ず根を出し栄養を蓄え双葉の芽を出す道理の意味を読み解く事が出来れば現世人生を歩む事はある意味重ね合わせて思考し実行する事が出来る。
現在はあまり聴く事が無くなった「道理を弁えろ❗️」という諸先輩方々の言葉が今更ながら胸に響く。