宗教法人

来慶山忠暘院

「職を得て働く事とはその職を繋ぎ橋渡ししてくれた想いを繋ぐ立場と知る事」令和3年11月23日記

「職を得て働く事とはその職を繋ぎ橋渡ししてくれた想いを繋ぐ立場と知る事」令和3年11月23日記

「職を得て働く事とはその職を繋ぎ橋渡ししてくれた想いを繋ぐ立場と知る事」

目先の自分が受け取る金にのみ目がいく輩が多い世の中だ。

各々自分が就いている職だが自分で新規創造した職ならばまだしも、それまで存在した職に就いている方が殆どのハズだ。

諸先輩方々が繋いで下さり職が成立していると捉えれば次世代に先輩として職を橋渡しする責任が生ずるモノなのだ。

就きたくもない職を金の為にやっている…やりたくも無い仕事を金の為にやっている…給料として貰う金は嫌な事をやらされる我慢料…

そんな話をする輩に会う度、言いはしないが、現代社会で大人になって自分自身の人間の人格を高める為のやり方、方法が働きながら社会に揉まれる事以外に他に在ると思っているアタマにチューリップ🌷でも咲かしている単なる物体と認識する事にしている。

先の司法試験に合格した息子が1年半後大学を卒業し司法修習生として過ごし弁護士業に就くらしいが、

「考えてみたら先輩弁護士の方々が弁護士という立場、品位を保ってきてくれたんだと気づいてさ…俺が弁護士っていう職を創った訳でも無いから…最近自分が弁護士っていう立場をおとしめ無い様にしないとって思うんだわ…」

そんな話をしてくれた。自分は同年の頃、アホみたいな事ずっと考えていたけれど、20歳ソコソコくらいでもそんな考え方するんだ…とちょっと感心した。

人間社会全体を考える時、職業に貴賎は存在しない。誰しもが社会の一員として社会の一翼を担う事で人間社会は回っているのだ。

自分自身の現在の職や立場に責任プライドを持つ人生の先輩で在りたいと常に思う。そんな意識を共有出来る人間とのみお付き合いし縁を育みながら過ごしていきたいと思っている。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。