「自分が自分を信用信頼し得る人格を自分で日々創り続ける」
自分自身、元来怠け者で日々やらずに済む理由を探し続け、楽して良い事が無いか?そんな事をひたすら思案し続けていた時期がある。
現在(いま)振り返ればその頃は「自己嫌悪の塊」状態だったのだ。
その頃は「心と身体が1つの自分を創っている」意識だった。
現在は、自分という存在を1つの存在と考える事をやめて、心を2つに分け主体となる自分の心で、下にぶら下がるもう一つの自分の心を眺めながら、主体の心がもう一つの心を操縦し、その心が身体を操縦する…そんな心体分社化みたいな感覚に変えた。
例えるならば、主体となる心がドローンの操縦桿となる無線機(もう一つの心)を手に持ちドローン(身体)を操る…そんな感覚だ。
無線機(もう一つの心)はバグ(人間の欲)を起こす事が多々有るので主体の心の在り方が重要となる。
主体となる心は常に人間としての在り方の理想を描き日々磨き上げる。
主体で有る心がブレ無い様にだけしておけば無線機のもう一つの心がバグを起こしても織り込み済みだから修正出来るのだ。
リアル生活をしていると操縦桿で在るもう一つの心が「疲れた…しんどい…」なんて文句を言い出す事も有るが、主体となるもう一つの心が「お前が「疲れた…しんどい…」って思わなきゃこの世には疲れなんて存在しないんだよ❗️アホぅ❗️💢」と指示する事で単純に乗り越える事が出来る様になった。
他人にコレをやったら単なるパワハラだが、自分の中で自己完結している出来事だから言われる事も無い…(笑)
主体で有る大元の心の思考を具現化する身体も生身なので時々メンテはするが心が元気ならば不思議と故障する事も少なくなった。
他人から見れば和笑(おしょう)という人間は1つの人格と写るだろうが、その1つに写る人格を内部では3つに分社化しているのだ。
人格なんぞ他人に創ってもらうモノでは無く、自分自身で創り上げるモノだと自分は考えている。分社化状態にしてから自分自身信用信頼出来る様になり自己嫌悪に陥いる事も無くなり現世生きる事が随分と楽になった。
あくまで自分自身がやってみた事、やっている事を記しておく。