宗教法人

来慶山忠暘院

「自分という人間を毀損させず内側に高めていく事だけ日々繰り返す」令和3年9月20日記

「自分という人間を毀損させず内側に高めていく事だけ日々繰り返す」令和3年9月20日記

「自分という人間を毀損させず内側に高めていく事だけ日々繰り返す」

日々、自分自身の立ち振る舞いが他に向かって自分自身を毀損させる事が多々起こる。その場に持ち込みゴミと化したモノの処理1つでもだ。旅の恥はかき捨て…という言葉が有るが、したい放題されて「後片付けは宜しく❗️」なんて事をされた側に取ってみれば「お前なんぞ二度と来るな❗️💢」なのだ。

たまに泊まるホテルなんぞで帰る時廊下を歩きながら目に入る先に去った方々の清掃中の部屋の室内を観る事が有るがどんな人間が泊まった部屋か大体想像がつく。館内で横柄な態度をしていた輩は…だし、立ち振る舞いがスマートな方はやはりそれなりの状態なのだ。「金を払っているんだから…」とばかりに自分自身の人間を毀損させる輩は居心地の良い場所を作る為にずっと金という道具が必要となり、入る分以上に支出が増えるからずっとアクセク金の為に働かないとならない。金を得る事をモチベーションとしてひたすら頑張って下さい…と思う。

自分自身の内側を常に高めると自ずと他に対する想い遣り、気配りが出来る様になる。他に対するそういう思いが芽生え更に気づいた事を実践出来る様になれば「立つ鳥跡を濁さず」の如く、次に同じ場所に立ち寄れば温かく迎えられる。金なんぞの道具をさほど用いなくとも何処に行こうが居心地の良い空間が常に在る状態になる。金なんぞに振り回されアクセクする事無く人生が豊かさに満ちる。

周囲を見渡せば、自分自身をあっちこっちで毀損させながら内面を高める事も怠る様な未熟な輩が金という道具に振り回されアクセクしている。

誰にでも平等に眼に写るリアル世界…現実が全て存りのまま道理を物語る。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。