宗教法人

来慶山忠暘院

「自分のメリット(利)だけを望む輩を下品人と呼ぶ❗️下品人と関わるくらいならば孤高を選ぶ気概を持つ事」令和3年12月3日記

「自分のメリット(利)だけを望む輩を下品人と呼ぶ❗️下品人と関わるくらいならば孤高を選ぶ気概を持つ事」令和3年12月3日記

「自分のメリット(利)だけを望む輩を下品人と呼ぶ❗️下品人と関わるくらいならば孤高を選ぶ気概を持つ事」

日々、下品な人間にだけはなるまいと気をつけている。自分の思う下品人とは自己中で自分が利するかどうかを判断基準にしている輩を指す。

綺麗事なんぞ言葉や文章、現代の技術ならば映像いくらでも飾れる。その人間のやっている事、周囲の付き合っている人間を眺めれば下品人かどうか判るモノなのだ。

現世生かされて半世紀以上、そんな下品人と関わるとロクな事にならないという結論を出した。現在は下品人と気づいたならばとにかく早々に縁を断ち切る事にしている。

日本国内1億人以上、世界には70億からの人間がいる。1億数千万分の1…70億分の1…のそんな下品人と付き合う必要は無いのだ。解りあえる人間と呼ぶべき存在は数多にいるのだ。

無理して人間と呼ぶに値しない下品人と付き合い有限な人生の時間を浪費する必要は無い❗️それを我慢し相手が下品人でも耐えて付き合っていく事が人生と思っているならば、人間として現世に生かされた意味すら解っていないと自分は思う。

若い頃ならば下品人という人間の姿をした物体を知る為にそんな下品人との付き合いも必要と思うが、ある程度下品人の考え方や生き方を観察し終わったならば徐々に距離を置き、断ち切るべきだ。

無理して下品人と付き合うくらいならば孤高の人間として独りで生き抜くくらいの気概さえ持てば良い事なのだ。

ここのところそうやって下品人との関係を断ち切ってきたが日常生活に困る事は皆無で、逆に日々心穏やかに過ごせる様になったし、良縁を深める時間が増えた。

あくまで自分の体験に基づく事を記しておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。