宗教法人

来慶山忠暘院

「自分の人生を歩むならば、やった事も無い…やりもしない預言者の言葉にいちいち耳を傾け無い事❗️」令和3年12月1日記

「自分の人生を歩むならば、やった事も無い…やりもしない預言者の言葉にいちいち耳を傾け無い事❗️」令和3年12月1日記

「自分の人生を歩むならば、やった事も無い…やりもしない預言者の言葉にいちいち耳を傾け無い事❗️」

自分自身が世の中を超越し先を見通せる預言者だらけの素晴らしい現代で有る。始める前から「それはムリ…」と預言者たちは他人に先に告げるのだ。

特に高学歴と呼ばれる方々は自分より学歴や社会的地位が高いと思った途端預言者にひれ伏す様に盲信追随する姿を観せる事が多い。

先を見通せる預言者のハズだが冷静に眺めれば大した生活をしている訳でも、素晴らしいと思える人間関係を築いている訳でも無いモノなのだ。

自分の場合だが、人生を歩んでいると諸々問題を抱えるし友人知人から相談を受ける事が有る。そんな問題解決に当たり先ずは自分のアホなアタマでとにかく考える。考えながら先ずはやってみる。それでも出来ない時解決出来るであろう友人に連絡を取り助言を頂く事にしている。預言者には訊く事は無い。

アホで低レベルな自分でも直接連絡が取れる参学の師が多々いる。解らない事はその道の専門の師に教えて頂く事にしている。参学の師から解決の為のヒントは何かしら頂けるのだ。

やった事も無い、やりもしていない預言者の言葉に耳を素直に傾けるほど自分には預言者に対する信仰心や畏敬の念は持っていないのだ。有限な人生の時間の無駄と考えているからだ。

自分の半世紀以上現世を過ごした人生の経験からだが一番最初に出会った預言者は年齢、時代からすればまだ女性では珍しい四年制大学を卒業していた母親だ。自分が考えた事を話す度、「アンタにはムリ…」何かしら失敗すれば「そうなると思っていた…」だった。先日鬼籍に入ったが、自分の人生を日々悔いながら不平不満ばかりを口にし続けた預言者の生涯だった。

自分の人生を有意義に過ごそうと思うならば訳の分からない預言者の言葉に耳を傾け無い事❗️

あくまで自分が人生を通じて体感した事を記しておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。