「自分の内側に価値基準を明確に持たない人間は常に迷い続けるだけの人生を送る」
骨格となる憲法すら無ければ国という体が成立しない様に、個人が尊重される時代になれば個々の内側の価値基準を明確に持たない事には人間として話にならない。
自分がリアルに知る鬼籍に入られた方々は内側の価値基準を明確に持たれていたし、現在も仲良くお付き合いさせて頂いている方々も然りだ。
特にそんな価値基準を持たれている筆頭格は、時々生存確認に自宅へ伺ううちの顧問弁護士をお願いしている大崎先生だ。本人曰く「コレで事足りるから…」との事でネットは使わず相変わらずワープロを使っている。
事務員から「たまにはネットで自分を検索して悪口書かれていないか確認した方がいい…」と言われたらしいが「どんな悪口書かれても自分は人間としても職責に対しても恥ずべき事をしていない自負有るし、自分を直接知る人は大崎君はそんな人で無いって言うから…」と応じた話をして下さった事が有る。
そんな話を訊いて「素晴らしい❗️」と感じた瞬間から現世生かさせて80代まで生きた時に同じ言葉が言える人間に成ろうと思った。その為に「どうすれば成れるか?」と自問自答し続けた結果が現在の自分の価値基準の根底なのだ。現在はその価値基準に沿う生き方を実践しているに過ぎない。
別に人間社会は多様で在るべきだから他の価値基準を認めない訳でも無く各々が価値基準を持てば良いだけの事だと思っている。他人の価値基準を素直に認める変わり、他人がその価値基準を自分に対し押し付け様とした時は「他人の人生に対して大きなお世話❗️」と距離を置く事にしている。
世の中が変化して個人が尊重される時代に突入しても、相変わらず個々が他人任せのお気楽な集団体制意識の価値基準で流され挙句日々文句を垂れているのだから恐れ入る。
お前は一体誰の人生を生きているんだ⁉️
それくらいの話なのだ。