宗教法人

来慶山忠暘院

「自分の心の動き、感性を大切にする。日々、疲れるだけならば自分にとって異常な場所に身を置いている」令和3年12月2日記

「自分の心の動き、感性を大切にする。日々、疲れるだけならば自分にとって異常な場所に身を置いている」令和3年12月2日記

「自分の心の動き、感性を大切にする。日々、疲れるだけならば自分にとって異常な場所に身を置いている」

先日28日NPO法人「シーホース主催工房」主催、「禅林のシンフォニー」が忠暘院にて行われた。自分は昼から参加したが、終了後から数日経った現在も心地よい余韻に浸っている。

冷静になって考えれば人間が本来在るべき姿の「他を蹴落とす事で自分を認知させたりしない邪気の無いピュアな方々が集う場所」に身を放り込み身も心も浸ったのだ。

最後みんなの前で挨拶をさせて頂いたが、みんなの姿を観ながら、「横浜に出て来て自分なりにだが頑張って良かった…」と心から思えた。

現在(いま)思い出しても気分が悪くなるが、数年前から昨年半ばくらいまで全てをやめてしまおうと考えていた時期が有った。今振り返ると自分やうちを利用し自分が良くなろうとする邪気を持った輩に囲まれていたのだ。

その時は違和感を感じながら聞き流していたが、忠暘院に属する輩の会話や行動は常に自分にとっての「利」のみだった。幸いなのがこれ以上利するのは無理、毟れないと判断した途端そんな輩は去って行った事だ。自分の中にも亡き実母とそっくりな、そんな邪気に満ちた餓鬼にでも認められたい…という過った意識が有ったと思う。(今思えば単なるお人好しのバカで有る。)

日々、疲れ切っていたが、他人の創り上げたモノを自分の為に利用する、奪う事が当たり前の邪気に満ちた餓鬼に囲まれていれば、麻痺し始めて、そのうちこの状態が当たり前と錯覚し始めるが、日々疲れるのは当然な事だ。

世の中、日々疲れている方々の話を見聞きするが、周囲を邪見、邪気を持った自分を利する事しか考えていない餓鬼に囲まれていないか確認する事をお勧めする。

日々心地よい疲労では無く、単なる疲労だけが蓄積するならば異常な状態、異常な場所に身を置いていると自分の経験から記しておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。