「自分の心体も含め全て微妙な調和で保たれている事を自覚する」
普段当たり前としか思わない健康な状態ですら体内で1個1個の細胞が自分の役割りを果たし微妙なバランスを取って維持されている。更に人間は身体だけで無く心がその半分以上を占めているが、全てが調和し健康という状態なのだがそんな自覚も無い。
「あたりまえ」の反対に位置する事「ありがたい」なのだが脳みそを硬化し固定した人間はその深い意味を取る事が出来ない。
意味を取る事が出来ないが故に片方の「あたりまえ」としか処理出来ないのでバランスを崩し続ける。
自らバランスを崩しながら他のせいにして責任を押し付けるから更に深みにハマりニッチもサッチもいかなくなり途方にくれる姿を眺める現代なのだ。ニッチもサッチもいかない状態に自分でしながら他人に助けを求める、善い人間に出逢えれば良いが殆どの場合弱り目に祟り目に遭う。
以前は、「経済的に豊かになれば考える時間が増え思慮深い人間が増える」と考えていたが、殆どの人間は「豊かになり余暇時間が出来るとその時間を快楽を求める時間に使う」とリアル社会を眺め思う様になった。単純な話、人間なんて生き物はそんな次元で生息する哀れな存在なのだ。厳しい事を書けば物質的に豊かな時代は思慮の浅い自己中な調和を乱すアホを量産すると現代社会が証明している。
但、自分自身の思慮の浅さから調和を乱している事を自覚さえすれば全ては上手くいく…調和を意識し始めると周囲に感謝しながら生きる様になる。感謝して生きている善人を貶める人間はいない。
もしそんな善人を貶める相手がいたとしたならば其奴は人間では無く悪魔と言い切れる。