宗教法人

来慶山忠暘院

「興った理由意味…滅した理由意味…永続している理由意味を素直な眼で観る」令和3年10月18日記

「興った理由意味…滅した理由意味…永続している理由意味を素直な眼で観る」令和3年10月18日記

「興った理由意味…滅した理由意味…永続している理由意味を素直な眼で観る」

全ての事象が当たり前の道理を隠す事も無く説き続ける。

理由も意味も無く興る事無く、理由も意味も無く滅する事無く、理由も意味も無く永続するモノは存在しない。

興ったモノゴトを素直な眼で観察し、滅したモノゴトを素直な眼で観察し、永続しているモノゴトを素直な眼で観察する。

余す事無く…真実のみが説かれているのだが、読み解く力が無ければ事象は観る事は出来るが自分自身のフィルターを通す事になるので本質まで理解するのは難しい。

誰しも現世生かされている間現在の状況を滅亡する事は望まないだろう。滅したく無ければ永続しているモノゴトから謙虚に学ぶしかない。本質まで見抜け無くとも置き換えて真似る事は出来る。学ぶの語源は真似るなのだ。最初は素直に真似る事。

日本という国は有り難い事に百年以上続く老舗だって現存する。寺社建築の金剛組なんぞ永続し続けている。身近な場所に有る寺社だって数百年は続いているのだ。

現在の様な状況になると先が見通せない時代の様な錯覚をするが、所詮は人の創る世の中なのだ。同じ様な状況は過去に何度も在った。手元に有るスマホでいくらでもそんな出来事なんぞは知る事が出来る。そんな便利な羅針盤を平等に手にする時代は未だかつて存在しなかったハズだ。道具を道具として使えない事自体が劣化した人間の証明としか言えない。

調子の良い時には努力を怠り、現在の逆風になると大慌てする事自体人間らしい…と言ってしまえばそれまでだが…

連なる事象の連続が目の前に広がる現実、事実❗️人間の心なんぞ釈迦の時代と比べても大した変化せず、現在(いま)瞬間から先に起こる事と捉えた時、ある程度の事は予測し得る。

取りとめの無い内容となってしまった。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。