宗教法人

来慶山忠暘院

「若い頃ならばまだしも、人生の主軸、目的地すら無く生きて何に成り、何処へ向かう?」令和3年12月26日記

「若い頃ならばまだしも、人生の主軸、目的地すら無く生きて何に成り、何処へ向かう?」令和3年12月26日記

「若い頃ならばまだしも、人生の主軸、目的地すら無く生きて何に成り、何処へ向かう?」

世の中が豊かになると与えられる状態が当たり前と錯覚し、如何に上手に持っている人間から貰う事が出来るか?だけに長けた輩が目につく様になる。

冷静になって眺めれば人間の魅力のカケラも無く動物園で飼われている動物と何ら変わらないと感じる。

時代に併せた生き方なのかもしれないが、自分から言わせれば単なる有限な人生時間の消化状態なのだ。人間として生まれてきた事の尊厳も無ければ何も無い空虚感のみを漂わしながら生きているだけだ。

タチの悪い事に自分の生き方が正しいと信じ込んでいるから、自分の子供や接した後輩たちにモノの考え方、生き方を伝授する。

以前ならば「変な事を伝授するんじゃ無い❗️💢」なんて思ったが、最近、個々の生き方を尊重する感覚になったので「それはそれで良し…」と思い眺める事にしている。人生が斜陽になっていくのもそれぞれ…別に自分が知った事では無いのだ。堕ちるところまで堕ちそこで考える事も人それぞれ…学ぶ相手、師匠も自分で選べる時代…自業自得…自分の業(わざ)で自分で得た事なのだ。

自分で考えている錯覚をし、実は周囲に流されているだけで何も考えていない…自分自身の軸も無く、何の目的も無い単なる物体化し水面を漂う漂流物化…動物園で飼われている動物化している状態で人生を終えるのも一つの生き方…

但、個人的に、そんな生き方をしている輩とは、人生の有限な時間が勿体無いので極力関わらないと決めている。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。