宗教法人

来慶山忠暘院

「若輩者が真似したくなる生き方を先に生まれた人間はし続ける責任が在る事を自覚する」令和4年3月16日記

「若輩者が真似したくなる生き方を先に生まれた人間はし続ける責任が在る事を自覚する」令和4年3月16日記

「若輩者が真似したくなる生き方を先に生まれた人間はし続ける責任が在る事を自覚する」

齢(よわい)50を過ぎ半ばに差し掛かった。気がつけば自分より若い世代が随分と増えた。

先に生まれた者の責任として、日常生活の中で「立ち去った後に善い余韻を残す事が是」だと思い日々暮らしている。

別に難しい事は出来ないので外ででもだがトイレや洗面所を使ったら自分が入る前より少し綺麗にするとか、自宅で台所で食事を作ったならば使った場所や道具を使う前より少し綺麗にして戻すくらいの事だ。

世の中凄い事を成さないといけない様な錯覚をして途中で諦めた方々が多い様に感じるが、ちょっとした自分に出来る善を継続するくらいで充分なのだと思っている。

生まれた限り人間の死亡率は100%なのだ。人間という自覚が有るならば現世生かされてお迎えが来た時、自分が生まれた時よりほんの少しでも世の中を良くして現世を終える感覚が必要だと考えている。それには日常生活において少しだけ良くする事の積み重ねをやるくらいの事だ。

個人的な小さな善行だが積み上げをしていけば1日1つとしても年間365…10年で3650…他人に強制する気はサラサラ無いが、自分より若輩者の誰かしらが共鳴されて真似てくれたら×2…日本国内に広がれば個人が1日1つ善行を行うだけで人口からすれば1億数千万の善行が行われる事になると想像するだけで愉しい気持ちになる。

本来、先に生まれた人間は自分より若輩者に対し、真似したくなる善い影響を与える存在として現世お迎えが来るまでやり続け継承する事がフツーになれば死んだ後安心して永眠出来ると思うが如何なモノだろう。

「自分みたいに為るなよ❗️」と開き直って現世居座り続ける輩が多くなってきた感が有るが、後々歴史の中で「クズ人間時代」なんて名づけられない様にしたいと思う。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。