宗教法人

来慶山忠暘院

「過去が不幸で有ったとしても現在まで不幸で有る必要は無い。その為に人間には学問が在る」令和4年1月5日記

「過去が不幸で有ったとしても現在まで不幸で有る必要は無い。その為に人間には学問が在る」令和4年1月5日記

「過去が不幸で有ったとしても現在まで不幸で有る必要は無い。その為に人間には学問が在る」

現代日本で、生い立ちが不幸だったから現在も不幸だと嘆く人間に出会う事が有る。自分のその考え方自体が現在の不幸を招いている事に気づかないのだろうか?と常々思う。
生まれ出でる環境は選ぶ事は出来ない。どうしようもならない事をずっと根に持ったところで現実は何も変わる訳では無い。ある程度まで成長した後は自分自身が全て選び取っているという現実を素直に認めるべきなのだ。
現在、不幸と思っているならば変化させる為には学問をするしか無い。自分が考える学問とは一般的に考える勉強とは違い、日々、誠実に生きる努力をしながら自分の内部から湧いてくる疑問を常に解決する為に学び続ける事をいう。
自分自身の人生でぶち当たる諸問題だが、自分自身の人生を自分らしく歩む上で、本来は自分自身で解決し続けるしか無い事なのだ。
いつか他人が変えてくれると信じて待ったところで、白馬の王子様は永遠に来ない。何もしない待っているだけの輩に白馬の王子様が現れるのならば、感動する物語として成立しない。
自分自身の内部から湧き出る疑問…問いを自分自身で考えて解決しようと学び続ける姿勢…つまりは人間性を高める事を心がけている自分自身で生きている人間は周囲に善い影響を与える。澄んだ水を周囲に与える存在となる。
変えられる事の無い不幸な過去を根に持ち、現在置かれている不幸も他のせいにし続けている状態は窪んだ場所に溜まるボウフラのわいた悪臭を放つ水溜まりレベルだ。
何の不平不満、何の疑問すら浮かばないならばそれはそれとしてとても良い事だと思うが、不幸…不平不満を感じるならばその不を取り除く為に自分自身で解決方法を学び実践する事だ。

 

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。