宗教法人

来慶山忠暘院

「道理を考えず世の中のフツーに慣らされると人間としての尊厳を忘れる」令和3年11月20日記

「道理を考えず世の中のフツーに慣らされると人間としての尊厳を忘れる」令和3年11月20日記

「道理を考えず世の中のフツーに慣らされると人間としての尊厳を忘れる」

先日、とある方と何気ない会話の中で、「景気の底上げをする為、以前政府がやったグリーン減税だったか…ポイントだったか…あれ以来日本人が貰う気質に変わりましたね…」なんて仰った言葉に思わず頷いた。

あの時、世の中せっかくだからとテレビなんぞの家電をせっせと買い換え家電メーカーは量産したが…現在、シャープなんぞ気がつけば外資企業となった。その後、諸々天変地異等の出来事が有り致し方無い部分も有ったとは思うが「少し我慢しましょう…」では無く、兎に角、税金を突っ込んで救済する事が当たり前の世の中になった。

現在は何かにつけて自助努力を忘れ、直ぐに周囲に頼るか、公助頼みの輩が増えた。頼りながら頼った相手に対し「もっとしてくれて当然❗️」という姿勢を観せるので、「お前人間としてどうよ…❓同じ事されたら怒るクセに自分はやるんかい❓」と思う出来事を多々観るし、自分自身そんな手痛い目にも遭った。

現在はそんな学びが有った事もあり「やって良い事」「やらない事」の分別がつく様になり、相手個々の性格も含め、そんなフツーと呼ばれる方々が創る世の中全体がどう流れるのかを読み解き、先々起こり得るリスクに対する心だけで無くリアルな備えもしている。(言ったところで解ってくれる方の方が少ないから時間の無駄と判断し、いちいち説明もしないが…)

先々歳を取って気力が衰えアホ化するのは致し方無いとしても、まだ自分自身で考えられる。ゆっくり進行している現在の状況がニッチもサッチもいかなくなり、後になって巷に溢れる「そんな事は前々から自分も知っていたし考えていた…」なんて後出しジャンケンの様な輩にだけはなりたくないと思っている。

余談だが、孤児院を運営し篤信家でも知られた渋沢栄一翁が街を歩いていると人々が手を差し出し「俺(私)にも金を恵んでくれ❗️」と寄ってきたらしが「働け❗️働け❗️」と言いながら人々の手をステッキで払いのけたらしいが、現在の人間も本質は変わらないという事だ。そんな道理が判らない政治屋が増え、伸ばした手に金を配る事が政治だと信じているトンチンカンだけが増えた世の中なのだ。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。