「金や力を使い得た地位や権力は金や力を無くせば失う事を知るが故に永遠に金や権力に縛られ続ける」
みんなに担がれ押し出されるカタチで地位に就いた人間と呼ぶに相応しい人格者もおられるが、声の大きさ(一般的に身体がデカい…)や金なんぞを使い地位や権力を奪取した輩の末路は哀れなモノだと常々思う。
眺めて観れば地位や権力を手中に収めその立場が上がれば上がるほど人間性が如実に現れる。そんな輩の周囲も類友が群れているからそんな輩が創る組織を訪ね数分も眺めれば先々瓦解するかは判断出来るのだ。
そんな立場に居る本人が心底、金や声の大きさでのし上がった自覚が有る訳では無いが、自覚は無くとも失えば全てを無くす事を本能的に知っている様で虚勢を張る姿に笑いそうになる事が有る。
加齢と伴に身体は小さくなり大きな声は出せなくなる…権力を維持する為に金なんぞを周囲に工面し続ける作業に有限な人生時間を割く事自体、自分からすればアホな人生時間の浪費なのだと思うが長年そんな状態に居れば人間はそれが当たり前と思うのだろう…。人それぞれ価値観は違うから知った事でも無いが…
自分の場合、血縁地縁の無い横浜に出て来て自分で寺を建て宗教法人なんぞの代表役員をやっているが、別に大した事をやっている訳では無いと思っている。何故ならば自分個人は大した人間で無くとも釈迦が開き、諸先輩方々が積み上げて下さった法衣を纏えば僧侶として認知され信用信頼を得る事が出来る事自体有難い立場に居る事が出来るからだ。
最近、世の中を賑わすとある学校法人内で後からの法人参加者で権力を手中に握ったアホな輩が自分だけの手腕とばかりに調子に乗って諸先輩方々が積み上げてこられた信用信頼を失墜させた姿を眺めながら…
金で得た権力を維持し続ける為に引くに引けない、齢(よわい)幾つになろうとコケない様に自転車を必死に漕ぎ続ける姿…晩節を汚す事のアホらしさを先に現世に生まれた先輩から学ばせて頂き自戒を込めて書き記しておく。