「金や地位、立場が人間を変えるのでは無く、その人間の本来の姿が如実に露わになってくるだけの事」
「昔はあんなヤツでは無かった…」そんな言葉を聴くが、素地を上手に覆って隠していただけだと思っている。
現世に生かされて半世紀以上経ち、世の中を眺めさせて頂いてきたが、金を持とうが社会的地位が上がろが、変わらない人間は変わらないモノなのだとつくづく思う。結局は普段から自分自身の内面を見据え鍛錬しているかどうかだけの話だ。
身近な存在で、日々、内面を掘り下げながら鍛錬されておられると感じる、うちの顧問弁護士をお願いしている大崎先生の場合だが、弁護士職責を遂行する上で不必要と断り続けた叙勲を「大崎先生が先に頂かない事には後輩弁護士が叙勲を受けられない…」と散々周囲から言われ、否応無しに旭日小綬章を受けられた。
叙勲を授与される前と後の心境の変化を直接本人に訊いたが、先生曰く「大して変わらないね…。但、授与された以上今まで以上きちんと生きなきゃならないって思う様になったかな…」との事。生活自体も別に変化された訳でも無く、相変わらず会う度に世の中を眺めながら自分が感じられた意見を語られる。
内面を掘り下げる作業を怠ってきた人間の場合、時勢にのって収入や社会的地位が上がった途端、周囲を太鼓持ちの様な輩に囲まれチヤホヤされ更に有頂天になり最終的に自滅する姿を観せて頂いてきた。メッキはメッキでしか無く、素地が露わになっただけの事だと判断している。
普段立派な事を語っていても、ちょっと環境が変われば素地を露わにする所詮そんな低レベルの人間の方が多いのが現世人間社会なのだ。考えてみれば立派な方々は行動が伴っているし、その行動が持続しているのだ。追い風向かい風が吹く生涯に渡り隠し通すのは不可能だ。
かくいう自分自身、偉そうな事をこうやって書いているが、普段理性で抑えつけていると思われるメッキが剥がれ素地が露わにるかもしれないと思っている。但、現在はまだまだメッキと思っているが、そのメッキを素地まで浸透させる事が出来るのかを内面を見据え鍛錬中なのだ。
金が有ろうが無かろうが、社会的地位が上がろうが下がろうが自分は自分の価値基準を定め自分らしく自分が目指す人間になりたいと思っている。