「1つのモノコトを依頼された時、自分の手元に来るまでの過程で携わる全ての人間の顔を浮かべる事」
普段からモノコトの依頼が入ると自分の手元に仕事が来るまでの過程を考える事がクセになっている。次に想い浮かべるのは介在された方々の顔だ。「自分がきちんと対応せねば1人1人の携わっている方々に全てに迷惑をかける事になる」とリアルに顔を想像する。
1つのモノコトの依頼に対して早く対処するのは携わる全ての方々に対する配慮…つまりは心配りなのだ。大切な事は何かしらの縁を繋いで下さった全ての方々に対する配慮なのだ。
半世紀以上、現世に生かされ世の中を眺めさせて頂いてきたが、他人に対する配慮…つまりは想像力が欠如した輩が斜陽になっていく姿を例外無く観てきた。
今まで記憶力重視のIQで人間を評価してきたが、これからはEQ基準に入れ替わる。最初から解の有るモノの速度を競う役割りはコンピュータの性能が上がった現在、AIに取って代わられる時代に突入する。
これからは幼い頃から鍛えられた総合的な人間力が試される時代に突入するのだが、相変わらず駅周辺の学習塾はまだまだIQ重視のブランド学校への入学生徒数を全面に打ち出し、その塾に群がる子供たちの姿を観る。
信じ込まされた価値観は簡単にズレ無いモノなのだと思いながら眺めるが、子供をヘトヘトにして人生前半でピークを迎えさすのも各家庭の親の価値観なのだから他人がとやかく言う事でも無いのだ。人生100年時代と言われながら前半20年でピークを迎えさせ様としている事に気づかないのは不思議にすら思う。
他への想い…想像力こそが人間に与えられた能力なのだ。生まれ持って与えられた記憶力、IQは鍛えても限界が有るが、EQに関しては鍛えれば鍛えるほど能力は無限大に拡げる事が出来る。
これからの時代、人生を斜陽にしたく無ければIQを鍛えるよりEQを鍛える事…
具体的に書けば、1つのモノやコトに接した時に常に多面的だけで無く時間や空間を多方面に拡げ捉え考えるクセをつける事。言い換えれば、起承転結の結を観た瞬間、転⇄承を繰り返しながら起まで遡るくらいの想像力を日々繰り返し続ける事だ。
もう一度書いておくが、これから先の時代EQを鍛え損ねたら世の中の底辺を這いずって終わる人生が待っていると警告を込めて記載しておく。