宗教法人

来慶山忠暘院

「1つ1つの全ての出来事、物事から学び続ける事が何より大切と知る事」令和4年3月22日記

「1つ1つの全ての出来事、物事から学び続ける事が何より大切と知る事」令和4年3月22日記

「1つ1つの全ての出来事、物事から学び続ける事が何より大切と知る事」

人間生きている間活動している。動いていると必ず何かしらの出来事、物事に遭遇する事になる。その出来事、物事から受動的に何を学び取るか?がそれから先の人生を分ける事になるのだ。
修行時代老師から「風呂も東司(とおす。トイレ)も自分が使う前より綺麗にして出なさい」と言われた出来事を思い出し、以前より自分がその場所で時間を過ごし立ち去る時、立ち寄る前より少しだけその場所を綺麗にして立ち去る事を続けている。
老師から教えられた1つの物事を続けていると不思議と善い意味で意識が変わってくるモノだと気づく事になった。それまで言われた事を覚えてはいたが、物事を浅く捉え実践する事を蔑ろに半分スルーしていた自分自身の思慮の浅さを後悔するが、まだ現世生きている間に気づく事が出来た事を有難い事と思っている。
そんなけっこう簡単な事だが、続けていると意識が最初より変化した。以前は自分が立ち去った後、その場所に次に立ち寄る他人に対してやっている意識が高かった様に思うが、最近は先々もう一度その場所に戻って来るかもしれない未来の自分に対してやる感覚も芽生えてきた。時間が経過する事を考えれば現在(いま)瞬間の自分とその後何かしらの体験を積んだ未来の自分は違う存在なのだ。(同じ自分で在っても同じ自分では無い。生まれた瞬間の時の自分と50歳が経験を積んで違うという捉え方)違う他人の様な自分がその場所を使うと書けば解りやすいか…
そんな感覚で生活する様になると居心地の良い場所が以前より格段に増えた感が有る。自宅で有っても同じ場所に戻った時、綺麗な状態だから気持ちが良い。更に自分が立ち去って後で自分が戻った時その場所が自分が立ち去った時より汚れていたとしても、またも自分が綺麗にする機会を頂いたのだと思えば腹を立てる事も無くなった。
更に付け加える出来事では、他所でも次に訪れた時の相手の対応が丁寧になる事に気づけたのも有難い事だ。
生きている間、周囲で沸き起こる全ての出来事、物事に対して1つ1つを思慮を深めながら精査しつつ学ぶ姿勢を取り続ける事で思考が深まるモノなのだと気づいた自分の実体験を書いておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。