宗教法人

来慶山忠暘院

この後くるのはケセラセラ…

この後くるのはケセラセラ…

  1. 時々、

 

「全てのモノゴトには理由が有って成り立っているのだから、敢えて自分が触れるべきでは無いのでは無いか?」

 

なんて思うことが有るが、今まさにその真っ只中にいる。

 
以前、うちの顧問弁護士でも有る鎌倉のおじさんと話した中で、「地球上の生物の種の限界」の話を訊いた事も心に残っている。

 
仏教の祖「釈迦」が本来自分が王となるはずだった国が滅びる時、政治行動を試みた話は聞いた事も無い事から想像すると、悟りきった人間の心の中に動かし難い「無常」の二文字を想像したりする。

 
和笑(おしょう)という仕事柄、諸々相談を受ける事も多いが、こちらが話す真意を汲まずとりあえず対処療法的な対処をされる方は1年も経たないうちに同じ内容で相談を受ける事になる。(自分の語彙力、力不足だと常々反省している。)

 
経典の中で、

 
「医者は処方箋(薬)を出すが、やる、やらない(飲む飲まない)は相手に委ねる…飲まないのは医者の咎(とが)では無い…」

 

という一文が有るが、今の自分の中で、

 

「処方箋を出し続けることに意味が有るのか?」

 

「消費時代と呼ばれ久しい現代社会の中、単なる時間潰しの消費されるだけの立ち位置にいるだけで無いのか?」
なんて言葉がグルグル回るのだ。
もう一つ向こうに越える時期がきている…

只、越えた向こうに待つのは「ケセラセラ」で有る…(笑)

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。