日本国内の個々の人間を眺めると、
「各々が波の穏やかな徐々に水が濁り始めて魚の数は減りつつも、今のところ魚も獲れる内海に浮かぶ小舟に載っている」
そんな姿にみえる。
個々の小舟が家族や会社などという手綱で縛りあっていたりする訳だが…
ここのところ「個」を強調し過ぎたがゆえにその「手綱」が細くなったり、場合によっては切れてしまいさまよう小舟も多々見受けられる。
まだ、さまよう小舟で有っても内海にいる魚が獲れる状態で有るが…
現実、水が濁り魚の数そのものが減ってきているのだ。
先々、魚も獲れなくなり、餓死すること必至で有るが、その事にすら気がつかずさまよい続けている姿が俗にいう「フツー」だから困ったモノで有る。
そんな、さまよう小舟で有っても、たまには波間に帆を支える柱になりうる柱や帆となりうる布地が漂っている場面に出くわす訳で有るが…
さまよう小舟の船首はそれにすら気がつか無いのだ。
内海をさまよう小舟の方々に、
もうじき水が濁り過ぎ魚もいなくなる❗️
常に海面を凝視し柱や帆になる木や布を探せ❗️
小さな布地で有っても縫えば帆になりうる❗️
自分の小舟に柱を立て、帆を張り、自分自身で自在に自分の小舟を操り内海から外海に出ろ❗️
外海には先に気がついた諸先輩方が待っている❗️
諸先輩方は自分の小舟を操りながら自在に大海を愉しく仲間と共に生きている❗️
と教えてしまおう。
あくまで人の心の中の例え話では有るが…
自分は読み解ける方々に期待する…
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。