宗教法人

来慶山忠暘院

バッタ者の石ころみたいなモノ…

バッタ者の石ころみたいなモノ…

自分の中には、

 

 

「バッタ者の人間…」

 

 

「バッタ者の和笑(おしょう)」

 

 

「バッタ者の旦那…」

 

 

「バッタ者の父親…」

 

 

等々…

 

バッタ者という自覚が有る。

 

 
バッタ者という自覚が有るからこそ「本物になりたい…」なんて常々考え実践するのだ。

 

 
昔、観たのアニメの「妖怪人間」みたいなモノだと思う事も有る。

 

 

何時もタチが悪いと思うのが、

 

 

「自分を本物と信じて疑わない人間の存在」

 

 
なのだ。

 

 
人間として生まれただけで「プロ人間」

 

 

仕事に就いただけで「プロ職人」

 

 

結婚しただけで「プロ旦那」

 

 

子供が出来ただけで「プロ親」

 

 

等々…

 

 
悪いが、何の疑問も持たず勝手に「プロ」みたいな感覚を持っている錯覚人間が多過ぎる世の中で有る。

 

 
簡単に例えるならば、道端の「石ころ」はあちこちに転がっている単なる「石ころ」でしかない。

 

 

 

 

そこいらに転がっている石ころが「自分は特別だ」なんて主張したところで、その他、沢山有る石ころの1つに過ぎないって事なのだ。

 

 

但し、石ころは磨く事で「玉(ぎょく)」に変わる事が出来る。

 

 

まして人間は意思が有り移動する事も自分自身で考える事の出来る存在なのだ。

 

 
誰しもバッタ者の石ころくらいの自覚を持って、「玉(ぎょく)」を目指す。

 

 
本来、人間として生まれたならば、目指す姿とはそんな事ては無いかと思っている。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。