うちの棟梁の仕事ぶりを眺めていると、現場に入ればとにかく仕事が早い。
棟梁の師匠には13人弟子がいたとの事だが、モノに成った弟子は棟梁を含めそのうち数名との事。
時々、棟梁の昔噺を訊くが、
最初の3年は掃除しかやらせてもらえない…
師匠や先輩の切り屑を拾いながら切り口を想像した…
4年目にして初めて道具を現場で持つ事が許され…
5年目…師匠から1軒の家を任され、資金繰り…人員…道具の手配全てやり一軒の家を建てた。
それが出来たのは13人の弟子のうち3人だけだったとの事。
棟梁の仕事の早さは、観ていると「段取りの良さ」なのだ。
アタマの中で諸々逆算している事が解る。
さらに凄いのは人間で有るから完璧に段取りを整えたつもりで有っても、現場で予期せぬ不測の事態が起こる訳だが、とっさのリカバリーが出来る。そこに在る道具で何とかしてしまうのだ。
結局、プロの仕事なんてモノは現場に入る前の段取り9割…後の1割は現場での対応力だと思う。(本来、全ての仕事も同じだが、バイトだろうが賃金を頂く以上そんなプロに徹するべきなのだ。)
現場に入り「道具が無いから今日は出来ません…」では次の仕事を頼まれる事も無い。(坊主が法衣、経本一式を忘れ法事や葬儀が「今日は出来ません」なんて言う事に等しい。
子供の頃、公園でサッカーやろうと思いながらボールを忘れ、ブランコをして遊ぶのとは違うのだ。
横浜に出てきて棟梁に忠暘院の大工仕事を含め境内地の殆どを任せているが、一つ 々 の仕事を観せて頂きながら、いつか棟梁の名前の入った棟板が上がった本堂を建ててもらう事を決めているのはプロとして認めているからだ。
人生で貴重な時間を共有するならば、相手はその道のプロに徹してきた学ぶべき事が多い相手が良い。
ゆえに、自分が本当にしてもらわないと困る様な仕事を頼むのはプロで有る。