モノゴトの道理は1つしか無い。
道理を目の前で説かれ様とも、目に写りながらも意味を理解出来ない曇った眼では読み解けないだけの事なのだ。
田畑を耕す農家の方々は畑を作る時、然るべき時期に、然る場所に、然るべき種を蒔く…
種を蒔くとは、手元にある種を一度手放し大地に托すという作業となる。
手に入れた種を手元に大事に握り締めていたところで実りは無いのだ。
大地に托し、日々気にかけながら世話をし続けて実りの喜びを人間の叡智を超えた自然の力に感謝しながら手に入れるのだ。
手に入れた種を一度手放し、托す事を知らない人間には次の実りはおとずれる事は決して無い…
そんな道理すら解らない方々は、
「せっかく手に入れたモノを手放すのは勿体ない…」
なんて言うが…
心から気がついたならば手に持つ種を全て手放し蒔く事をお勧めする。
幸せの定義(種)に気がつき、幸せになりたいならば、
日々、他を幸せにする種を蒔き続ける事…
難しい事では無く、日々、自分が口から吐き出す言葉…行い…全てが種だ…
自分の知る、
人格者で社会的に認められている方々の言葉は優しく…行いは他対する善意慈愛で満ちている…
日々、善い種を蒔き続けているのだ。
善い良縁に囲まれ日々穏やかに過ごしている。
時々、出会うそうで無い方々は、
吐き出す言葉は「妬(ひが)み…僻(ねた)み…嫉(そね)み…のオンパレード…
行いは自分だけに対する訳の解らない人間臭い愛?に満ちている…
悪意に満ちた人間関係に囲まれ…日々蹴落とされるのでは無いかとビクビクして過ごしている…
そんな単純な話なのだ。
もう一度書くが幸せになりたいならば幸せの種を蒔く事…
「幸せになりたい」と言いながら、日常で悪の種を蒔き続けている人間が多いのだ。
そんな姿は、豆を収穫したいのに質の悪いカボチャの種を蒔き続けている姿に見えてしまう訳だが、本人たちは豆を収穫する気で、本気出して質の悪いカボチャの種を蒔き続けているのだから…
リアルな喜劇を観ている様で有る。
テレビなんぞ観なくとも…日々リアル喜劇はいたるところで絶賛上映中なのだ。
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。