住職のブログ

一流を知り真似る…

知人住職の祖父で在る先々代の住職が亡くなられた時の話だが…

 

人格者だった方で、権力や権威から常に距離を置いておられた。僧侶で在ったから所属する宗門と呼ばれる世界から中心に入る様にどんなに請われても首を絶対に縦に振らなかった。

 

 

僧侶の世界だけで無く、政財界や芸術家の超一流と呼ばれる方々と親交があったが、あくまで個人的な友人として付き合っておられた。

 

 

その老僧が亡くなり、通夜、葬儀が自坊にて営まれたが、参列された友人の世の中では超一流と呼ばれる方々は肩書きなど外し、あくまで一個人、私人として完璧に空気感を消して友人の死を悼み一般の参列者に紛れて焼香されていたのだ。

 

 

警備上、私服警官も多数配置されたが、私人とはいえ自分たちがその場所に入る事で混乱しない様に友人たちで格別な配慮をされ、とにかくおごそかな空気に包まれ、式が営まれたと伝え聞いた。

 

 

それが一流と呼ばれる方々の立ち振る舞い、品格というモノだと思っている。

 

 

その話を聞いてから、特に他人の創り上げた場所に自分の身を置く時自分自身の立ち振る舞いを意識する様になった。店に客として食事で店に立ち寄る場合も、その店主の創った場所に身を置かせて頂くのだから客という立場での自分の立ち振る舞いを意識せざるを得なくなったのだ。知っていながら出来ないのは知らないと同じ事なのだ。

 

 

特に店主と友人という親しい間柄ならばよけいに気をつける。自分が友人で在る事で店主に恥をかかせない様に意識するのだ。(現在(いま)はまだ意識する事が有るが、そのうちもっと自然に立ち振る舞いが出来る様になるだろう…)

 

 

時々、他人が創った場所に身を置きながら、自分という我を出す方を見かける事が有る。類友宜しく、連れている方々も同じタイプが多い…

 

 

我を出す立ち振る舞いを眺めながら、言動1つで有ってもその場所へと繋いで下さった方に対して大恥をかかせている事にすら気付けない人間だと判断し、自分への戒めにさせて頂く事にしている。

 

 

知人であるホテルリッツ元総支配人高野登氏が著書中で「客とホテルの社員は対等で在り、客で有ってもリッツに相応しく無い方に対して毅然と断る場合が有る」という内容を記しておられたが…リッツで無くとも、何処に行こうが全ての場所に当てはまると事だと自分は思っている。

 

 

他人の創った場所に身を置くとは自分自身その場所に入るに相応しい立ち振る舞いが出来ないならば単なる迷惑な存在でしか無いという事なのだ。

 

特別レベルでは無く、常に別格な「格別」な居心地の良い場所に自分の身を置きたければ、何処で有っても常に自分がその場所に居る意味を読み解き、爽やかな空気的存在となれるか?

 

 

それくらいの事なのだと思っている。

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