人間生活の営みの中で不安を抱える事が有る。
自分自身を省みて、かつて漠然とした大きな不安を抱きながら日々過ごしていた時期も有った。
以前、漠然と不安を抱えていた頃、
「この不安はどこから来るのだろう…」
と考えた。
結論からすれば、
「自分自身の無知からきている」
そんな事に気がついた。
無知で在るが故に「やって良い事」「やってはいけない事」の区別がつかないので「やってはいけない事」をやってしまっている…
「やってはいけない事」をやってしまっているから、後々不安を呼び込む事になる。
それくらい、もの凄く単純な話なのだ。
但、以前に無知で在ったが故にやらかした種が芽吹き不安という状態になってしまっているならば、
「不安に感じている事を知る努力をする事」
知りさえすれば、現世を生きる人間の不安で有る。
その不安には必ず対処法が存在する。
対処法さえ判れば取り除く事は可能となる。
知る努力もせず、やみくもに漠然と不安だけを抱え、周囲に不安のみを語り続けているだけなけならば、その姿は人間としての智慧を活かす生き方を放棄しているに過ぎない。
周囲にとって単なる迷惑な存在でしかないのだが、その姿さえも「無知」で在るが故なのだ。
ここまで読んで解らないならば電話してから直接うちまで訪ねておいで下さい。で有る。
抱える不安に対する処方箋を出すのは寺と呼ばれる場所で在り…法服を着て僧侶を自認する人間の役割りだとの自覚は有る。
付け加えるが、全国に数多に存在する寺という看板を掲げている場所も、そこに住まう法服を身につけている方々も娑婆世界で誰しもが抱く不安を取り除こうと待っておられると思う。
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。