常に不平不満を言っている人間を眺めると、言っているだけで全く不平不満を取り除こうと行動する事は無い。
まるで、裸で「寒い…寒い…」と言いながら自分で服を着る事すらしないのと同じレベルの話なのだ。それが子供ならば、まだ致し方ないと思うが…大人と呼ばれる年齢になってもやっている人間を見受けるとゲンナリする。
以前、そんな相手に対して服を用意して着せる事が親切だと勘違いしていた時期があった。
結局、自分のした事は親切では無く「何も考えず、自分で服を用意する事も、着る事もしない人間に考える事を放棄させた時間を一時的に先伸ばしただけの事」だったのだ。
「寒い…寒い…」と裸で叫ぶくらいならば、
さがして服を着る…
暖かい場所に移動する…
いろいろな方法を考え実行すれば良い事なのだ。
その為に人間のアタマは存在する。
不満を感じたならば…
不満の根本が何からきているか自分自身で考える。
不満の根本を断つ方法を自分自身で考える。
考えたならば実践して行動してみる。(但し、法治国家で生きている以上、違法はご法度で有る。)
不平不満をどれだけ言ったところで何も変わる事は無い。周囲に対して「自分は馬🐴も鹿🦌も見分ける事が出来ない人間です❗️」と宣言しているに過ぎない。他人を不快な気分にするくらいが関の山で在る。
考えて行動してみて行き詰まったならば、周囲に相談する。
それを聞いて単に同意して頷くだけの相手ならば自分の事など本当は何も考えてくれて無いこれから先の人生において無意味な相手と判断すべきだ。(その相手との時間は有限で有る人生の時間の浪費にしかならない…)
少なくともやった事に対する何かしらの助言をくれる相手とのお付き合いをするべきなのだ。(有限である人生の時間は有効に使うべき)
最後に、行動してみて行き詰まった時にならば、うちの門戸は大きく開けておく事を記しておく。
自分は書くだけ書いて無責任な事はしないと決めて書いている。
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。