山の頂きからしか本当の絶景は自分の眼でしか眺める事しか出来ない。
時代が進み映像(情報)で観られる(知れる)時代になったが…
あくまで、
「観た(知った)気…」
になっているだけなのだ。
そんな「観た(知った)気」になっている方々が批評や批判を匿名で無責任に垂れ流す時代なのだ。
足腰弱った歳を召された方々に「山の頂きを目指せ」なんて気はサラサラ無いが…
まだまだ壮年より若い方々が「観た(知った)気」になっている現代社会で有る。
他人の批判を匿名で無責任にする時間が有るならば自分自身の眼で観る為「山の頂き」を目指すべきなのだ。
目指して登っている人間を下界から眺め批判しながら滑落するのを願う…
そんな人生に意味を見出し?生きている人間を目にする度、
「人間として生まれてきた意味を自身で問うた事が有るのか?」
なんて哀しくなる事が有る。
数百年前に祖師と呼ばれる方が遺された
「あわれというもなかなかおろかなり…」
という言葉が、人間の本質は変化しない事を物語る…
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。