宗教法人

来慶山忠暘院

世の中を眺めながら…

世の中を眺めながら…

 世の中は無常、つまりは常で無い状態なのだ。

 

その意味を理解出来ない人間は変化していないと信じ切って疑わない日常が大きく変わった時、慌てふためき自分が信じている日常に戻そうと必死になる。

 

人間関係においてもだが、お互いが「都合の良い」だけで繋がっただけの関係だと片方が変化した時、無常を認めたくない人間が元に戻そうと必死になり悩む姿をよく観る事になる。

 

本来、人間関係を円満に営もうと思ったならば出会いと同時にお互いが「信頼される人間」となるべく努力し続ける必要が有るのだが…相手にとって「都合の良い人間」に為ろうとするからそごが生じる。

 

人の為と書いて「偽」という漢字が在る様に、自分以外の他人に対して無意識に「都合の良い人間」をやっていないか❓を自分自身に問うべきなのだ。

 

何度も書くが、本来、人間が目指すべきは自分自身が「信頼される人間」に為ろうと努力し続けるべきなのだ。

 

信頼される人間に自分自身が為ろうと努力もせず、都合だけで人間関係を構築し、無常の意味も考える事無く、ちょっとした相手の変化で

 

「裏切られた…」

 

なんて言い出す輩が多い…多過ぎる

 

全てにおいて現在目の前に突きつけられる現実には全て理由が在る❗

 

理由を読み解く事をおざなりにして、やり過ごすから愚者の如く何度も同じ失敗を繰り返すだけの事なのだ。

 

さしてモノゴトを考えずとも、豊かな日本国内において、飯を食べていればとりあえずは死にはしない…

 

但、それだけで人生を終えるのならば単なるう◯コ製造機の存在でしかない…

 

とちょっと厳しい言葉を付け加えておく…

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。