若い世代の方に相談される事が有るが、最近感じるのは、
「◯◯したいのだがどうすれば良いか?」
の「◯◯したい」が無く「どうすれば良いか?」だけを相談される事が多いのだ。
したい事も無い人間に「進むべき道を説け…」なんて相談されても説きようが無いのだ。
「人の世は金が無くて死ぬ…」
なんて浅い考え方が世の中の主流を占める時代で在るが、究極まで削いで考えれば、
「人間は食べられなくて死ぬ」
のだ。
本当に食べられなくなって二進も三進もいかなくなるくらい困らない限り浅はかな考えは治らない…というより…人間は気がつかないモノだと最近つくづく思う。
「どうすれば良い?」だけの状態で彼方此方に相談し、深みにはまり更に自分を見失うより、「◯◯したい」が見つかるまで自分自身で模索するべきなのだ。
他人から「◯◯するべき…」なんて言われ行動する事は、他人の代理で人生を歩んでいる事に気づくべきなのだ。
「自分の人生は自分のモノ以外何モノでも無い❗️」
どうも考えの浅い中途半端な世代に育てられたせいか、自分の事を自分で考えず他人任せにする人間が増殖し続けている。
重ねて書くが、
「誰の人生を生きているのか?」
先ずは根本を自問する事❗️
親といえども自分では無い❗️
仮に親の立場ならば、浅い考えで子供の困る事を察し先回りして導くより、自分でモノゴトを考えられる人間として育てる術を模索するべきなのだ。
自問自答して「◯◯したい」が見つからないならば、不平不満を言いながらも現状に満足している自分に気がつけ❗️
少々厳しい書き方となっているが…
食べる事が出来ず明日の生命もままならないのならばいざ知らず、毎日成人病を引き起こすくらいの食べ物を食べながら、「やりたい事が見つからない…」なんてのたまう…
そんな贅沢な時代を生かされている自覚が足らな過ぎる世の中に対してこの文を投げ込んでおく…
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。