宗教法人

来慶山忠暘院

自分なりの道理を説く…

自分なりの道理を説く…

先日お付き合いの有る霊園からの依頼で霊園に設置されている永代供養墓への納骨供養に行った。

 

子供がいないご夫婦が先祖のお骨を納めにみえていたので、
「遠方から改葬で墓地をこちらにされたんですか?」
と訊くと、
「◯◯寺からです…」
なんて近隣の大きな寺の名前を言うではないか…
その後、諸々話を聴いたが…
要約すれば…
何代か前から◯◯寺で墓を求め世話になってきたが、子供がいないので先々の事を相談に行ったら一霊あたり法外な供養料を言われ、とても払い切れない金額なので墓を寺に返し今回、霊園の永代供養墓に納める事にした。
との事だった。
自分からすれば、対応した◯◯寺の住職は坊主の責任を放棄している…住職という立場が全く解っていない方だと思う。
本来、自分たち僧侶が葬儀をお勤めさせて頂くという事は、僧侶の立場からすれば縁有って「自分の弟子にする」という事なのだ。(現在は施主は金を払ってやってもらった感覚の方が多いが…)
先代か先々代の住職が葬儀をしたのかもしれないが、その寺の住職が葬儀を勤めたという事は「その住職の弟子にした」という事なのだ。
現在その寺の住職を務めている以上、先代だろうが先々代がお勤めさせて頂いた喪家で檀家名簿に加えているならば、弟子の子や孫の面倒を見続けるくらいの心が無いのならば住職なんて役職は返上すべきだ。(急に飛び込んできた一見さんならば仕方ないとも思うが…)
「そんな事を言っていたら寺院経営は成り立た無い…」
なんて思う住職がいるならば、もう一度書くが「書いてある意味が解らないならば、速やかに住職の役職を返上しろ❗」と檀信徒に代わって諫言しておく。
大体、「金が有る時は付き合うが、払えなくなったら付き合わない…」なんて相手(寺)に対して自分が死んだ後の事や子孫を托す人間はいないって事だ。
「宗教離れ…」や「寺離れ…」なんて言葉をよく耳にするが、離れていくのには理由が存在する。
本日書いて有る事に対して、何か意見が有る僧侶が居るならば直接出向いてみえたらきちんと応対させて頂く。
いつでもお気軽においで下さい…でお待ちしている。
久々にムカつく出来事だっただが、将来、自分が同じ過ちを犯さない様に…大切な事を忘れ無い為にここに書いておく…

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。