宗教法人

来慶山忠暘院

人生を豊かに愉しく生きる極意…

人生を豊かに愉しく生きる極意…

1つのモノゴトを動かす時、

 
「その行動を取る事でどれくらい善き人と繋がり関係が深く(親しく)なれるか?」

 
を考えられるかが何よりも大切な事なのだ。

 

 

 

そんな事を説いても 々 々 々・・・も解らない方々が増えてきたので、基本、集悠庵で「積極的引きこもり」を決め込んでいる訳だが、有難い事に理解されてくれる方々は直接訪ねて来て下さるのでタイクツする事も無い。

 
最近うちのの変化といえば、以前から頼んでいた百貨店の外商担当が代わり、後任はパソコン印刷の挨拶文を郵送してきたのみなので、お歳暮を頼む先を変更する事にした。

 

 

正直、百貨店と付き合っている訳では無く、付き合っているのはあくまで人間なのだ。知りもしない人間に義理立てる必要も無い事で有る。現在の百貨店の凋落は、後任にきちんと人を繋がない…こんな事からも判る。(但、自分の場合、前任が繋ぐほどの人間でも無いと判断した可能性大だが…笑)
昭和時代のモノ不足、人口が増えた時代ならいざ知らず、これからの時代、人を繋げられなければ失速すると記しておく。

 
子育てもだが、あくまで人ありきで考える事で有る。

 
先ずは子供の土台(きちんと挨拶が出来る事、他人に迷惑をかけない事等)をしっかり家庭で身につけさせる。(躾はあくまで親の責任で有る。)

 

 

次に子供の環境を何処に置くかを考え、その環境に置かせる事で、その場所でそこに集う人間とどれだけ深く繋がれるか?を読み解きその環境に入れてしまうくらいの事だ。

 

 

大人になれば別だが、子供時代は環境は自分自身で選べないのだ。あくまで親が選んでやる事なのだ。(但、子供に気づかれ無い様に子供自身が選択した錯覚をさせる事が重要で有る。)

 
個人的にだが、学校の勉強の成績云々なんぞは正直どうでも良い事だと思っている。(本人自身「智」が欲しくなったならば本を読めば良い事くらいなのだ。)

 

 

何度も書くが、主眼として置くべきは「人」で有る。最初に「人ありき」でモノゴトを構築出来るかが重要な事なのだ。

 
本来人間が大切にすべきは、私心、私欲を外し誠意を持って人と接する事で善き人と繋がり、その繋がりを大切に育んでいく事…

 

 

 

人生を豊かに愉しく生きるならばそれを実践する事くらいなのだ。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。