宗教法人

来慶山忠暘院

人間として在るべき姿…

人間として在るべき姿…

自分の心、身体の空腹を満たす事のみに時間を費やすのならば畜生と何ら変わらないのだ。

 

 

本来、人間の在るべき姿とは、

 

「常に周囲との調和を考えて続ける」

 

 

「現在(いま)の自分に他の為に何が出来るか考え、そして調和を崩さない事ならば、その考えを実践する」

 

 

だと思う。

 

 
以前から何度も書くが、生かされている間、

 
「非力では在るが無力では無い事を自覚し、非力ながらも、その力を他を活かす為に使い続ける事」

 
が肝要なのだ。

 

 

そんな単純な話なのだが、実践となると「他の為になんぞめんどくさい」がアタマをもたげるのが人間なのだ。

 
世の中「めんどくさい…」なんて言葉には出しはしないが、そんな「めんどくさいオーラ満開」で生きている人間の割合が多すぎる。

 

 
「めんどくさいオーラ満開」の人間は、本人に自覚は無い様だが、きつい言葉で書いてしまえば、

 

 

「他の力を削ぐ為に生きている人間」

 

 

と断言しても差し支え無いと思っている。

 

 

他人の為に力を注ぐ(注ぎ続ける)=人間の在るべき姿
他人の力を削ぐ(削ぎ続ける)=非人間の姿

 

 

誰しも自分の日常を省みて、自分の在るべき姿を模索し続けるべきだと常々思う…

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。