宗教法人

来慶山忠暘院

令和3年1月1日…

令和3年1月1日…

有難い事に、無事に新しい年をまたぐ事が出来た。

昨年はコロナのおかげで普段ならば観る事の出来ない人間模様を観察させて頂いた上、思慮する時間を沢山頂く事が出来た一年だった。
国内において殆どの人間が日々体重の増加や食べ過ぎからくる病気に怯えるくらい有難い恵まれた状態が続いてきた訳だが、有難い環境を当たり前としか感じる事が出来ず感謝する事を忘れていたのだ。
コロナ禍におかれ少々不便さを感じたからといって不平不満を言う人間がいるが、それまでの日常が異常なくらい恵まれていた。その事に気づかせて頂いたと感じれば感謝しか湧かないハズだ。
恵まれた状態で感謝を忘れ、今回のコロナ禍の様な気づくきっかけを頂けた事にすら感謝出来ないならば「アンタは人間として生かされている間、何時(いつ)何に対して感謝するんだ?」と思う。
自分自身の事も省みて「人生に詰まっている人間は周囲や事象に感謝出来ない人間」と確信している。
逆に言えば「全てのモノゴトに対して心の底から感謝を忘れなければ人生に詰まる事は無い」と断言する。
「吾唯知足」とか「少欲知足」等々…先人が遺して下さった言葉が多数残る…
その先に有る読み解かねばならない言葉は「感謝」だと記しておく…
一年の計で元旦に有り…
令和3年1月1日…朝起きてから一年を無事に過ごせる計をめぐらし自分が考えた計は「日々、全てに感謝して過ごす」唯これだけだ。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。