佛神に手を合わせる事の意味…

時々、ブログを読んだ方から、

「私の事ですか?」

なんて言われる事が有る。

 

基本、自分が1人の人間として体験し、自分なりに考え納得した事を文として書いている。

 

本来、人間さほど差は無いので氏育ち…就いている職業なんてモノは関係無く心の成長過程は同じ経過を辿る…

 

そんな中で見えてくるのは、

 

人それぞれ、その人間が人生で体験しないといけない試練に出遭う…

 

その試練を小手先だけでやり過ごした人間は何度も結局同じ様な試練が待ち受けている…

 

と感じている。

 

よく、

 

「何で自分ばかりこんな酷い目に遭うんだ…」

 

なんて嘆く方と遭うが、極論からすれば、

 

「理由が在るから…心底、自分で気づくまで延々と続く…」

 

と言いはしないが、本気で訊かれたならば応えるしか無い…

 

佛神にすがりつき、

 

「何とかして下さい…」

 

「助けて下さい…」

 

なんて手を合わせる事は「願(がん)」をかける事なのだ。

 

願をかける=願いが叶う様に自分でも努力します

 

と誓う事でも有る。

 

願をかけた祈りが済んで、日常生活の中で何も自分自身で変化させる事も努力する事も無く、佛神に対して丸投げ、任せっぱなしの無責任人間に力を貸すほど佛神は甘くはない…

葬儀や法事の時に、

 

「安心してゆっくりお休み下さい…」

 

なんて手を合わせておきながら、通夜の夜に遺産でもめたり…帰りの車内で夫婦ゲンカしたりする方が居るが、

 

手を合わせられた佛からすれば、

 

「お前たちの事が心配で安心も出来ないし、ゆっくり休む事も出来ん❗️💢」

 

そんな事なのだ。

 

単純な話、

 

安心してゆっくり休んで下さい=安心させるくらいの生き方を現世から見せ続けます

 

という事だ。

 

そんな意味すら解らず佛様や神様に手を合わせて誓いながら、約束を破り続けるのが凡夫の人間だ。

 

佛神との約束を破りながら「願いが叶わない…」なんて嘆く事自体佛様神様にとっても迷惑な話である。

 

心底気づくまで堂々巡りを続けるか…

 

気づいて堂々巡りから抜け出すか…

 

生きている間に自分自身でお考え下さい…

で有る…

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