先細りに進む方々へ…

時勢か「家族葬」なるモノが増えてきた。

 
白洲次郎師クラスならば家族に対しても、周囲の付き合いの有った方々に対しても葬儀も要らないくらい大切な事を生前に説いたと思うので良しだが、一般の凡夫は少なくとも家族+信頼信用出来る生前お付き合いの有った方々を招いて葬儀を営むべきだと思っている。(ちなみに白洲次郎師でも信用信頼出来る友人知人は集まって白洲師を送っている。)

 

 
自分が縁有って呼ばれた葬儀て通夜の法話の中で会葬に見えた方々に、

 
「今日ここに居る会葬でみえた方々は、肉体的に限界がおとずれた故人から大切な家族を托された存在だと自覚して頂きたい…」

 
なんて毎回話すが…意味を考える事無く、単なる通過儀礼的にみえている方々が多すぎるのだ。

 
家族葬で送る事を遺言し…
遺した家族に対して家族を托し…

 

 

それが先例となり家族に家族を托し続ける…

 
その先、待っているのは先細りして個別に露頭に迷う家族の姿をあの世から心配しながら眺める…

 

 
思慮の浅い凡夫の末路はあの世まで行っても哀れと思うが、それもまた仕方のない事とも思う。

 

 
別に、

 

 

「聖職者を呼んで立派な葬儀をするべき❗️」

 

 

 

という話では無く、少なくとも自分の信用信頼出来る方々に大切な家族を生前に託す機会を普段から意識して設けるか、最後に托す段取りくらいはするべきだと思う。

 
モノゴトの道理を考えず、

 

 

「人付き合いは煩わしく面倒だ…」

 

 

そんな思いに捉われ判断し、行動したならば末代まで細らせる誤った道に進ませる事になると自覚すべきなのだ。

 

 

 

自分が最近息子を友人知人に会わせる為連れ歩いているのは、そんな事を考え実践しているだけの事なだ。

 
もう少し続ければ、白洲次郎師の様に、

 

 

「葬式いらぬ」

 

 

「戒名いらぬ」(坊主だからもうついているが…)

 
と遺言が書けると思っている。

 

 

自分自身で熟慮して正しいと思ったならば実践する。

 
自分自身が実践する事で先々結果報告出来ると思うが、忠暘院の行く末をご覧下さい…

 
で有る。

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