力量の無さに気づく…

基本、人間は会話の中で「自分に都合の良いモノ」しかインプットしない生き物だと感じる。

 
それもインプットする時に、前後の文言を読み解かず「自分の都合の良いカタチ」に変換してインプットする。

 

経典を眺めてみると、

 

釈迦が最初に言った言葉を弟子が一語も違わずおうむ返しの様に返し末尾で質問する。

 

釈迦はまた全ての言葉をおうむ返しの様に返す中で末尾にその意を付け加える。

 

現代に当てはめるならばメールのやり取りで、全文を残しReし返す感覚なのだ。

 

漢文の経典だけを眺めると凄く難しい事が延々と書いて有る感覚になるが…紐解けばReの応酬みたいなモノで有る。

 
それくらい繰り返さないと最初の言葉の本質がズレる事を危惧した表れなのだ。

 

悟った人間釈迦の真意を弟子たちが学びとろうとした姿…諦めもせず延々と真意を伝え様とした釈迦の姿を想像した時…

 

法孫の一人で有る自分は何を為すべきか自問する…

 
真意を伝えきれないのならば今時点での自分の力量の無さ…
日々、模索が続く…

 

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