坊主を生業(なりわい)としている和笑の感覚について…

修行時代一流と呼ばれる高僧の方々の側でお世話をさせて頂きながら、その方々の生き様を直接観させて頂く機会が有った。(今はお世話されていたと思っている…)

 

 

その頃の自分自身が現在以上に薄っぺらだったので老師が言われる意味が理解出来ない事が多々有り散々叱られた。

 

 

未だ全てを理解出来ている訳では無いが、少しは何をその時おっしゃっておられたか叱られた意味を理解出来る様になった。

 

 

結局のところ…

 

 

自分の生命(いのち)を含め取り巻く全ての無機質な「モノ」や「コト」をも生命(いのち)と捉え、全てを最大限に活かす姿を観せるのが本来の坊主本来の智慧で有る…

 

 

坊主で在る自分が全ての「モノ」「コト」を生命として捉えず、ぞんざいに扱い生命として最大限に活かせない姿を観せた時、厳しく叱られていたのだ。

 

特に無いからといって勝手に他所からモノを取り寄せた時はこっぴどく叱られた。

 

 

「尊公(そんこう)の目は節穴か⁉️無いという思い込みで観ているから無い❗️💢2つ眼がついているんだからちゃんと観なさい❗️💢」

 

 

なんて叱られた時には、

 

 

「無いモノは無いっ…(T_T)理不尽なクソジジイ…💢」

 

なんて正直思ったが…

 

 

もう一度書けば「目の前に在るモノを基本は極力そのままのカタチや役割りの生命を活かしながら、何か足りないならば足りないモノを極力その場所に存在する「モノ」「コト」を足す事で更なる新しい価値ある生命に変える事が出来ていなかった…」それだけの話なのだ。

 

 

単なる自分の力不足…そんなどうしようもない自分を厳しい言葉で「気づけっ❗️」との思いでたしなめられて下さっていたのだ。(鬼籍に入られた老師方…心意が解らず本当に申し訳ありませんでした…)

 

 

自分の心底に老師方から入れられた坊主としての感覚…

 

 

あくまで自分の為にでは無く…

 

 

世の中の為に自分が生かされている間使っていきたい…

 

 

それだけの話なのだ。

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