声無き声を聴く大切さ…

寺社仏閣に参拝する感覚はある意味では、

 

「声無き声を聴き取る練習」

 

だと思っている。

 

人間社会においても、自分で声を上げられる方は良いが…

 

相手を気遣い過ぎ黙る方…

 

自分を表現する事が苦手な方…

 

まだ幼くどう表現して良いか判らない方…

 

いろいろな方々が存在するのだ。

 

その様な方々と縁が有り出会い良好な人間関係を構築したいならば、その方がみせる表情…仕草などから声無き声を聴く必要が有る。

 

寺社仏閣…家の仏壇…神棚…黙って手を合わせながら、世の中の平和や自分以外の他の安穏を願うならばまだしも、くだらない自分の欲なんぞを必死にお願いするより、

 

「声無き声に耳を傾ける事」

 

が重要なのだ。

 

自分の経験上、合理的な数字や出てくる声だけに対処している人間は最初は上手くいったとしても必ず先詰まる。

 

リアルに耳で聴く事が出来ない声にこそ本当の真理が存在する。

 

付け加えて書くが…

 

声無き声を聴く事が出来ない人間は、

 

他人が時間をかけて培ってきた人間関係に不用意な発言で壊す。

 

無機質で出来ている道具の断末魔的「痛い❗」という声無き声を聴く事が出来ないのでやたら道具を壊すし、モノを無くす。

 

声無き声を聴く声が出来なければ、その人間の歩む人生の先なんぞ、たかが知れているレベルで終了する…

と付け加えておく…

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