宗教法人

来慶山忠暘院

大量死の時代を迎える意味…

大量死の時代を迎える意味…

前代未聞の高齢社会を迎えるとの事で世の中、医療費の増大等々、「金」という道具の心配ばかりの話が溢れている。

 

 
簡単に言えば「年寄りが増えて病院入って金がかかってバタバタ亡くなる状態に入る」たったそれだけの事なのだ。

 

 

これから先起こる事は、

 

 
「生き様を映す、死に様を諸先輩方から学ばせて頂ける」

 

 
という事なのだ。

 

 

それも、

 

 

大量に❗️

 

 

これでもか❗️

 

 

っていうくらいに否応無し大量のリアル情報として各自各々の眼の前に突きつけられる❗️

 

 
世の中の流行りにのり、自分本位でモノゴトを考え、

 

 

 

「誰にも迷惑もかけず、誰にも世話にもならない❗️」

 

 

 

なんて粋がって来た人間は、融けた哀れな屍(しかばね)を晒(さら)し、部屋の壁紙を交換したくらいでは取れない死臭を遺す事で、誰にも迷惑や世話をかけないどこか多大なる迷惑、世話をかける姿を観せて下さる事になるだろう…

 

 
余談だが、最近流行りの「エンディングノート」なんてモノ自体、自分自身の生き様に自信の無い人間の表れでしか無い❗️

 

 
きちんとした生き方をしてきた自信の有る人間の死に様から学ぶならば、白州次郎師の遺言が参考になる。

 

 

シンプルな上、あっぱれで有る。

 

 
「葬式要らぬ。戒名要らぬ…」の「戒名…」一文を観た時、白州次郎師の眼から世の坊主を眺めた時、この師の弟子になりたいと思うほどの坊主がいなかった事を推察してしまう。

 

 

 
自分は白州次郎師の様な、達観なされておられる方に自分の弟子を意味する戒名を授ける事が出来る坊主がいるならば会ってみたいとすら思う。

 

 
そろそろ団塊の世代を送る…大量死の時代に突入する…

 

 
一人一人の、

 

 

死に様…

 

 

送られ方…

 

 
遺された現世をまだ生かされている人間は、自分の生き方を学べば良い…

 

 
そこから何も学べなければ…

 

 
単なる大量な無駄死者を送り出すだけの作業となる…

 

3・11ですら僅か数年で忘れてしまう、現代人に記しておく…

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。